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2021/06/21
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リハビリ医療を学ぶ

こんにちは、代表取締役の牛場潤一です。

 

 

私が住んでいる東京は、遂に本格的な梅雨入りです。不快指数の高まりに、外へ出掛ける足取りがどうしても重たくなってしまいます。しかし、自然にとっては恵みの雨ですから、自分勝手にぼやいてばかりはいけませんね。少し元気がないように見えていた街角の紫陽花たちは、連日続く”恵み”のおかげですっかり元気を取り戻し、彩りや大きさを競うように咲き誇っています。

 

私は、最近見つけた白緑(びゃくろく)の紫陽花がお気に入りで、空の明るさや空気の重たさで繊細に変わる印象を毎日楽しんでいます。きっと皆様の身の回りにも、素敵な景色が溢れていることと思います。毎日の生活の中に小さな美しさを見つけて、梅雨の季節を上手に過ごしていきたいですね。

 

 

医学部へ

 

今日は、大学生の時にリハビリテーション医学の研究を始めたときの話をしたいと思います。理工学部がある横浜の丘の上で、半導体物理やシステム制御工学の勉強をしていた私は、医療のことを学びたくて医工学研究室を志望し、配属されるやいなや、指導教員に「医学部に出して下さい!」とお願いをします。脳とは何かを学びたい、患者に寄り添うテクノロジーを作りたい、医療を創る研究がしたい!気持ちばかりがはやる名も無き少年だった私を、温かく受け入れてくれたのは医学部リハビリテーション医学教室でした。

 

理工学部では、「最先端のAI」「ウェアラブルロボット」「生体信号の解析方法」といった、心躍る最先端の技術や方法論をたくさん学んでいましたが、病院で目にした毎日の診療業務のなかに、そのいずれも見かけることはありませんでした。実際の現場で使われていたのは、プラスチックを成形して作った装具や、針金と木材で工作した孫の手のような自助具の数々。ハイテクなものなんて、全く目にしません。理工学部で「最先端の科学技術が未来を変える」と聞かされ、そのことに憧れて勉強をしてきた私は、現実との間にあるこの途方もない大きなギャップに、ただただ困惑するばかりでした。

 

 

現場の人になる

 

そのとき私が唯一できると思ったことは、「現場の人になる」ということでした。たまにふらっとやってきて思いつきで質問をしたところで、そんなよそ者の若造をまともに相手にしてくれる人なんていないだろうな、ということは当時の私でも容易に察することができました。そして、「何が現状の問題か?」という質問に簡単に答えられるくらいなら、きっととっくに誰かがこのギャップを埋めているだろうなとも思いました。現場を「知る」でも「見る」でもなく、「自分自身が現場の人になる」ということを、まずは徹底的にやってみようと思ったのです。

 

それから私は、医局にデスクをもらいました。毎日毎日、医局に通い、「おはようございます!」と声をかけ続けます。「お前、医者じゃないのに何故かいつもいるな…」と最初は怪訝そうな顔をしていたドクターたちとも、次第に打ち解けていきました。

 

「おまえ、本気で研究やりたいなら、その気持ちをみんなに見える形で示さないとダメだぞ!」。あるとき医学部のシニア・ドクターから、ゲキが飛びました。聞くと、春に入局したばかりのドクターに神経解剖学の筆記試験をするから、お前も受けてみろとのこと。これはチャンス!「喜んで受けさせていただきます」と返事をするなり、文具屋さんに駆け込んで単語帳や赤ペンを買い揃え、寝ても覚めても、移動中だろうがなんだろうが、とにかく解剖書にかじりついてその内容を覚えることにしました。これをやり切ったら、何かが変わる。そんな直感とともに、覚悟を決めて一心不乱に勉強した記憶があります。

 

 

こうして私は、その年の試験で一番の成績を取りました。一緒に受験していたドクターたちの驚きに満ちた表情は、今でも忘れることができません。私にゲキを飛ばしたシニア・ドクターさえも、呆気にとられた顔をしています。自分と医局の間にあった両者を隔てるガラスのような結界が、完全に崩れ去った瞬間でした。

 

この日を境に、ドクターたちは私にいろいろな本音を語ってくれるようになりました。診察上の悩み、上司との衝突、他科から言われた心ない言葉やそこからくるコンプレックス、患者さんの暮らしに寄り添う診療科としての誇り。心の底にある色々な想いに触れることができました。そして、そうした等身大の心模様のなかに、「ハイテク」という異物を医療の現場に馴染ませていくためのヒントが数多く潜んでいることにも、私は気付いていくのです。(つづく)

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